大島智衣の「oh! しまった!!」

しまったあれこれ随想録

〈57〉迷子のおじさん

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拾ったスマホを交番へ届けに行ったら、迷子のおじさんに出遭った。

おじさんは「ちょっとわからなくなってしまって……」と途方に暮れた様子で交番へ入ってきた。カジュアルな格好で、すらっとしていてひょうひょうとしていて、白髪交じりで、リュックを背負っているおじさんだった。

「道っていうか、車を停めた駐車場がどこかわからなくなってしまって……」と困り果てているおじさん。

初めて出遭うパターンの迷子だった。

「自分が今どこにいるか」や「行き先」がわからなくなってしまったのではなくて、自分で駐車した「駐車場がどこか」わからなくなってしまったというのだ。

けれど、知らない街ならそれもあろう。自分の荷物をどこのコインロッカーに預けたのかわからなくなってしまう旅行者のようなものか。そんなにめずらしいことではないのかもしれない。

迷子のおじさんは中年のお巡りさん(つまりこの人もおじさん)に駐車券を見せたあと、「ここへ行ったんです」とひどく手こずりながら某Jセンターのパンフレットをリュックから引っ張り出して差し出した。

私は、もう一人の若いお巡りさんが私の案件であるスマホの拾得届けを奥の部屋でせっせこ作成してくれているあいだ、ふたりのおじさんのやり取りをあからさまな横目で注視した。包み隠さず「気になっている人」で居た。

だって、その中年のお巡りさん、さっき私にスマホどこで拾ったか聞いた時、私がB駅直結の建物と答えたらそのB駅がわからなくてずっと地図を見ながら探してたんだよね。でもこのへんのお巡りさんがB駅を知らないわけないのね。だから私「ここらへんの管轄じゃなかったですか?」ってニッコリしながら地図のB駅を「ココです」って指差したの。そしたらお巡りさんは「最近異動してきたんです」って言ったんだけど、その言葉は明らかになまってた。そんな、そんな異動したてのお巡りさんのおじさんが迷子のおじさんの対応をするだなんて……なんて前途多難なおじさんたちなのだろう。

だから気になって気になって、私ならこのへん結構わかるし、力になれるならなりたいって強く思った。

迷子のおじさんの今日の目的地「Jセンター」はB駅の隣であるN駅からほど近い施設で私も知っている場所だ。この交番からも歩いて7~8分くらいか。

けれど、なんということか、最大のヒントとなるはずの駐車券には「N7」と地名+数字しか印字されておらず、迷子のおじさんが説明するには「停めたのは……裏路地に面したビルの1階から地下へスロープで下がる地下駐車場で、Jセンターまでは大通りに出てから結構歩いたんですよ」。

そこで、異動したてのお巡りさんは「N7 地下駐車場」でおそらく自身のスマホか何かで検索したけれどヒットせず、このへんをよく知る私も脳内マップをくまなく検索するも該当なく……早々に窮した。

それでも、私もスマホを取り出しコソコソ調べていると、異動したてのお巡りさんは迷子のおじさんになまりながらこう言った。

「こうなるとですね。考えられるのはですね。このままそちらさんが車を引き取りに行かないで時間が随分と経ったときにですね。駐車場さんから警察に問い合わせが来ると思うんです。それを待つという。」

……待てねえよ!!

なにその時系列に理路整然と事件を筋立てて整理し解決に導く、いかにも警察的な手法!!
それ迷子のおじさんが今いちばん必要としてないやつだから!!

そこで、おじさんは「もう少し探してみます……」と交番をあとにした。

ああ、おじさん。知らない街で、これまたこの街を全く知らない人に遭っちゃったんだぁ、あなたって人は。なんて不運な迷子のおじさん。

私もまた、どうすることもできないまま、拾得届の提出をようやく済ませ交番を出た。

すると、目の前の交差点で迷子のおじさんがまだ信号待ちをしていた。

おじさん……。一緒に探してあげたいところだけど、あたし今、昼休み中なんだ。勤め先の職員さんに「交番に行った分は差し引いて1時間休憩取ってきていいからね」とは言われたけどさ。10分以上歩いて交番に来て、巡回中で不在のお巡りさんを電話で呼んで、待って、書類を作成して提出して……ってやってたらもう軽く45分くらい経ってるのね。ここから1時間休憩取って歩いて帰ったら2時間くらい職場空けることになるじゃない? なんかそれだとね、ただでさえスマホ拾ったことを報告したら「面倒なことを……」的な反応された気がするのに、2時間も職場抜けたりしたら何て思われるか……って気が重いの。だからもう、帰り道しなに丼ものみたいのをカカッとかっ込んでサッと帰社したいわけ。

それなのに、目の前のおじさんが気になって仕方ない。今すぐ声を掛けたい。けれどもそこをぐっとこらえて私は信号が青になって歩き始めたおじさんのあとを追った。いや、大丈夫なの。だってそっちはちょうど職場への帰り道の方向だから。うん。ね。

ずんずんとおじさんは進んだ。私もずんずんとその背中を追いかけた。
と、おじさんは曲がった。

え! おじさん! そっちは私の帰り道からそれちゃうよ……うーん……うーん仕方がない! もう少し見守ろう。私もビルの角を曲がった。するとおじさんがいない! おじさんどこ!! 私は走った。曲がった。目を凝らした。すると、ひょっこりとおじさんが建物の陰から出てきた。危ね!! 鉢合わせするところだった。私は身を潜め、ふたたびおじさんを追った。もう、昼飯のことは諦めかけていた。その時、おじさんが一つのビルに入り、1階から地下へ伸びるスロープを下り始めた。おじさん見つけたの!? 坂の下へ下へと消えていくおじさんを見守った。ああ、おじさん、見つかったかな。それなら良かった。私もまだ今からならゆで太郎くらいになら寄れるかも。ふう。と、安心しかけたのも束の間、スロープの下からずんずんとおじさんが引き返してきた。違ったかー! 残念おじさん! もういい、私もゆで太郎での日替わり得セット(690円→590円)は今日は返上だ。おじさん、私はおじさんの車見つけるまでを見届けたいよ。あら、おじさん今度は折り返すのね。今来た道の一本隣の通りを折り返すのね。私はすると職場から遠ざかるのね。オッケー。腹は決めた。行くところまで行くよ!! 意気込んだところでおじさんは右手をまっすぐに上へと挙げた。え? タクシーが停まった。それに乗り込むおじさん。おじさん!!! そりゃないよ!? こちらの心の悲鳴もつゆ知らず、おじさんは運転手さんに「スロープがあってぇ」の手のジェスチャーをしながら私の視界からどんどんと遠ざかっていったのだった。

おじさん。そしてタクシーのおじさん。見つかるといいね。

往来に取り残された私には、もはやそう願うことしか許されなかった。残念すぎたけれど、迷子のおじさん見届けバトンはタクシーのおじさんに託した。

それから、私は職場へと踵を返し帰り始めた。途中、コンビニに寄っておにぎりを一個だけ買った。それを、職場はもう目の前という交差点の街路樹の陰で立ったまま喰った。だって、時間がめっちゃ過ぎていたから。一刻も早く職場へ帰ったほうが良さそうだったから。バイトだから。社員さんにどう思われるかが生死を分けるから。

その人がそうしているのにはきっと理由があるのだろう。
たとえば、道端でおにぎりにかぶりついている人がいたとしたら。

お腹が空き過ぎたのだろうか?

……などと思うかもしれない。そして、こうも思うはず。

何もこんな往来で立ったままおにぎりを食べなくても。
一体どんな理由があってそんなことに?

気になると思う。しかし、私は今日、その往来で立ったままおにぎりを食べる人になった。理由は、迷子のおじさんを夢中で追いかけたからだ。