大島智衣の「oh! しまった!!」

しまったあれこれ随想録

〈1〉誕生日おめでたい

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先日40歳になった。
誰からも祝われなかった。見事に、ものの見事に誰からも。

その日一日、同居の家族からさえも、「おめでとう」のひと言も掛けてもらえなかった。自発的には。

それが、この40年間で私が得たもの──そう、かけがえのない“自由”を手に入れたのだと思った。うん。

それにほら、よく言うけど「誕生日はむしろ周りに感謝する日」ってね。

……なんて嘘だ。すっごく、さみしかった。そんな自由は、いらなかった。

八重洲コンタクトレンズとかディノスとか、宅ふぁいる便までもが「お誕生日おめでとうございます」メールをくれたというのに。
生身の人っ子一人、私の誕生日を把握してくれてはいないのだった。

けれど、それもそのはず。私だって、ほとんど誰の誕生日もお祝いしていない。家族と、幾人かの友人をのぞいて。

Facebookでも誕生日は非公開。おめでとうメッセージなど私なんぞはいただかなくてもよい。その替わり私も、誰にもおめでとうメッセージを投稿しない。

なんていうか……それがフェア?

いや、正直お祝いしたい。したいけれども、もしその相手からじぶんの誕生日にもお祝いリターンがなかったら、かなしいじゃない……?

だから、フェアを選んだ。
でもそんなことしてたら、してたから、40歳の節目に誰からも祝われない事態を招いたのだった。自業自得。oh! しまった!! なのだった。

そこで、その日の帰り道。
「このまま帰宅したら、荒れる」と、ありありとそんな姿が浮かんだ私は、地元の友人を飲みに誘った。

すると運良く、ありがたく、飲めることに。
嬉しかった。そしてもう、恥を忍んで開口一番に告げた。

「私、今日、誕生日なんだ!」

もう言ってしまった。じぶんから。

そんな私を不憫に思うしかない優しい友人は、大いに祝してくれた。本当にありがたかった。

でもこれはやはり、ちょっとズルっこをした感が拭えない。
さっき冒頭で"自発的には"と付け加えたのはそういうことだ。

このお祝いは、カウントしちゃいけないような、バレンタインデーにチョコをもらえなかった男子が、チョコもらいまくりのモテモテ同級生にお願いしてお裾分けチョコをもらえたとして、それ果たして本当の意味で「オレ今年チョコ、1個ゲットしたしー」と胸を張って言えるだろうか? 言えないよね? ……といったような。

だってあくまでも、自然発生的に祝われてこそ、誕生日の本分。
「今日、誕生日なんだ!」とかじぶんで言っちゃいけない。

友人の思いやりあふれる純粋なお祝いは心底ありがたく頂戴しつつ、また身勝手な自我に巻き込んでしまい申し訳ない気持ちでそう自省した。
それから帰宅前にスーパーに寄っていろいろ買い込んで、誕生日の〆を部屋でひとり、粛々と執り行ったのだった。荒れた。

しかしこの業、それだけでは終わらなかった──。

そんな誕生日から2日後。
とある集いに参加していたら、その場でこんな一斉メールがこっそりと回ってきた。

「○月○日がAさんの誕生日だったので、ケーキを用意しました! あとで皆んなでお祝いしましょう♪」

……え?

Aさんの誕生日って私の誕生日の1日前なんだ? へぇ。近いね。親近感。
へぇ。へぇ。へぇぇぇぇぇ。

得も言われないきもち。どきどきどきどき。鼓動が高鳴る。今すぐどこかに潜り込んでうずくまりたい。ほんの2日前、帰宅後に一人でワインをがぶ飲みした夜が胸に込み上げてくる。

どんな表情も今はうまく作れる気がしない。
心もとない時間の中にへんな笑顔のまま凍りついた。

と、電気が消えた。

暗闇の中をローソクの点いたケーキが運ばれてくる。
一同「ハッピーバースデーAさーん♪ 」
ローソクの明かりにAさんの嬉し恥ずかしそうな顔が浮かび上がる。
一同「ハッピーバースデー・ディアAさーん♪ 」
パチパチパチ……盛大な拍手の中、ローソクを吹き消すAさん。
一同「おめでとう!!!!!」

(いや私もおととい誕生日だったんですけどねん!!!涙)

ホントしまった。こんなことになるなんて。

けれど。あのとき実は、こんな考えもよぎっていた。

(とかいって実は、私のことも同時に祝ってくれるWサプライズ……!?)

なんておめでたい人間なのだろう。
そんなことにはならなかったけれど、ほんの一瞬でも、そんな淡い期待なんぞ抱けたじぶんが、誰からも祝われなかったとしても、きっと誰よりもおめでたい人間だったんじゃないだろうか。めでたい。

40歳になった。じゅうぶんおめでたかった。