大島智衣の「oh! しまった!!」

しまったあれこれ随想録

〈9〉感受性の産みの親

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母に笛で呼ばれる生活が突如スタートした。

毎年クリスマスの時期になると、母から「今年はいついつどこどこで歌うから来てね」とクリスマスの聖歌隊として彼女が参加する屋外ミニコンサートのお誘いを受ける。
幸か不幸か、ここもう毎年のクリスマスには予定がないので、仕事帰りにスクーターで駆けつけては、寒い中頑張って歌い上げている母たちを、ブルブル震えながら見守り、写真に収めたりしている。一年を〆めくくる親孝行のつもりだ。

今年も、クリスマス一週間前のぐっと冷え込んだ日曜日の晩に、アルバイトを終えてスクーターを飛ばした。
朝、家を出る前に、母に「バイトは17時までだから、コンサートのスタート17時半には少し遅れるかもしれないからね」と伝え、「また泣いたりしないでよ?」と付け加えた。
そんなことを言ったのは、何年か前に母のコーラスサークルの発表会を聴きに行った際、最前列ド真ん中の目立つ立ち位置で歌う母が泣き始めたからである。美空ひばりの『川の流れのように』の歌詞に感極まって。
……感受性!!
呆れるほど“豊かな(?)”感受性を持ってしまっている母なので、少しでも緊張がほぐれればと茶化したことを言って、笑い合いながら自宅を後にした。

会場に着いたのは、やはりスタート時刻を少し回った頃。中からはすでにクリスマスソングが聴こえてきていた。
足早に潜り込み、母を見つけ、彼女の前方のパイプ椅子に座る。今年もまた、まぁ寒い。
それでも軽快なリズムに乗りながら聴いていると、あれ。母の様子がおかしい。目元が光ってる。照明のせいじゃないよね? まさか。と思っているうちに案の定、恥ずかしそうに照れ笑いしながら涙を拭い始めた。まだ来ないまだかなと待っていた娘の姿がやっと見えたからだろうか? ……メリークリスマス! 今年もミセス・感受性。

その2日後、母は高熱でダウンした。
そして、タイミング悪く家族不在の間に足を滑らせて転倒し腰を強打、そのまま動けなくなってしまい、スマホもうまく操作できず、夕方を過ぎて、帰宅した弟に発見され救急車で運ばれるまでの半日、床に転がったままだという。
忍びない。そしてなんとも頼りない。スマホで救急車を呼ぶこともできないなんて。

あゝ神様、これが聖歌を泣きながら歌った迷える子羊にする仕打ちでしょうか? しかもただの風邪じゃなく、インフルエンザだというではないですか!(アーメン)

レントゲンの結果、骨折はしていないとのことで幸いだったけど、途方もなく痛がりながら、父と弟に両脇を支えられて帰宅した。
その晩から、まったく起き上がれない寝たきり状態の母に笛で呼ばれる生活はスタートした。

ピーーーーー。
その夜遅く、自室でテレビを観ている私の脳裏に突然、どこからともなく美しき笛の音色が響き届けられた。

え? テレビから? と、画面に目を見張るも笛など全く出てきた気配のない内容。もしかして? いやまさか。とリビングへ駆けつけると笛を口にした母がいた。
「何かあったらこれで呼んで」と与えた災害時用の笛が、隣の部屋にもこんなにクリアに響くなんて。さすが救命用だと感心した。
ちょっと前に、私のミスで火災報知器が大“輪唱”沙汰になり「アンタが笛でも吹いてふざけてるんだと思った」と私にいらぬ疑いを向け、怒りをぶつけた本人が、今度は実際に笛を吹くことになるとは。(⇨『浮かれて笛吹く娘じゃない』

こうして笛の号令とともにスタートした母の看病生活だったのだけれど、私にはもう一つ不安があった。

高熱でフラフラし、よぼよぼしている母を残してアルバイトに出掛けようとしていた遡ることその日の朝。
一緒に病院行こうか? と何度訊いても、いいと首を振るので「じゃぁ、今日はもう絶対に立って歩き回らないでね。トイレも四つん這いで行くんだよ? スマホ、腰元に置いておくから何かあったらここを押して連絡ちょうだいね?」といろいろ念押しして出掛け、日中もLINEも送り、既読にはなっていた。
返信がひと言もないのは少し不安だったけど、もともと母はスマホが全然使いこなせない。スマホに反応してもらえるタップさばきも習得しているとはいえない。2・3回押して反応しないと諦める人であった。
なぜ諦める? 故郷・秋田は男鹿から高卒後に身一つで横浜へやって来たなまはげ魂はどこへ? もうすっかり老なまはげだ。
なので返信までは期待していなかったのと、何かあれば電話をくれるだろうし、その連絡が来ていないということは、風邪のしんどさでじっと寝込んでいるのかなと思っていた。それで私も油断し、ちょっと帰宅時間が遅くなってしまっていた。

家の手前の薬局で、何か買ってきてほしいものはあるか訊こうと母に電話を掛けるが出なかった。家に電話をするもやはり誰も出ない。
と、母から折り返しがあり、出ると弟の声で「母ちゃん、倒れて救急車で今病院に来てる」。うわっと思った。父と車で迎えに行こうと自宅待機中に再び弟から連絡が入り、「母ちゃん、インフルエンザだった。腰も折れてないって」と検査結果を聞いて、なんだそっかインフルエンザだったのか! どうりで! 腰も無事で良かった!とホッとしたのと同時に思った。
そのインフルエンザ、私、感染(うつ)ってないか?
まだ週末はバイトへ行かなきゃだし、週明けには楽しみにしていた忘年会もあるのに、アウトかな……?、と。

……そんな不安を抱えながら、母のオムツを初めて替えていると、母はもう腹をくくっているのか恥ずかしがることもなく、逆に堂々と天井を見据えながら「娘を産んで良かった」と言った。
私は「じぶんの子どものオムツ替えをすることのないまま、というかそこらへんは全部すっ飛ばして、母親のオムツを替える日がこんなにも早く来るなんてね」と返して、二人で笑った。

神様、仏様……あっ、なまはげ様? 昔小さい頃、母と里帰りした大晦日の晩に「悪い子はいねがー?」とすごまれながらも、あなたたち鬼が振りかざしている包丁が「あれアルミホイル巻いて作ってあるな」と幼いながらに見抜いたことを謝ります。そしたら、私にも無垢な心とインフルエンザに感染していない体を取り戻してくれますか……?

翌晩、インフルエンザはしっかりと発症した。
待っていたのは老老介護ならぬ病病介護。寝たきりインフルをこれまたインフルが介護しなければならない地獄! THE・インフルの巣窟がそこに! キャーー!

家族の中で唯一インフルエンザの予防接種を受けていた父が在宅中は、母の介護は安心してバトンタッチをしたが、今度は困ったことに、父は母の笛の音に全く気づかないのだった。
「あ、俺全然聞こえてない。高い音聞こえないんだ」
おいっ! おかげで、ピーーーと笛がなるたびに、インフルで割れるように痛む頭を抱えながら起き上がり、父を呼びに行くという満身創痍の伝達係としての役目だけは逐一担わなければならなかった。
母が父にスマホで電話を掛けられるよう、父から特訓を受け、習得するまでは。

そんなこんなで、アルバイト先には迷惑を掛けつつ有難くお休みを頂戴し、なんとか滑り込めないか? とたくらんでいた忘年会も先ほどいよいよあきらめ、欠席の連絡をしたところ。母娘共もうしばらく療養の日々はつづく……。

オムツを替えられながら母が言った言葉が少し引っ掛かっていた。
「娘を産んで良かった」
じゅうぶんに意味はわかる。けれど、なんだか複雑でもあった。言われたいのは「あんたを産んで良かった」だ。

だけど、母には話していないけれど。娘の感受性もまぁまぁ源泉掛け流し状態だ。
この前はちょっとしたパーティーで披露されたオペラの歌だけでひどく感じ入ってしまい人知れず泣いた。あぁしんどい、母譲りの感受性しんどい。誰も泣いてないのに。と、もう笑えてしまった。

この感受性の産みの母と、高い音域は聞こえないけどややユーモラスな父の間に、産んでもらえて私は良かった。としたい。
おかげでインフルエンザの病床でこんな文章を書いている。

今、また呼ばれたと思って立ち上がったけど、鳴っていたのは笛じゃなくてじぶんの鼻だった。