大島智衣の「oh! しまった!!」

しまったあれこれ随想録

〈11〉神様、あと59秒だけ

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日本のバスはやさしい。
手厚く、丁寧に、私たちを目的地まで送り届けてくれる。
それがどれほどやさしいかを、私は韓国のバスに乗って初めて知った。

韓国の街なかのバスは荒い。
とにかく、運転手が急いでいる。ぼやぼやしていると停まってもくれない。(時刻表もない。)

ゆえに韓国のバスはしばしば浮く。
交通量の少ない深夜の路上であまりにも飛ばしたバスが浮いたとき、もうこれはバスじゃないと思った。もうこれは、暴走するただのデカい箱だ。この世で最も危険な箱はパンドラの匣ではない。韓国のバスだ。
発車も停車も荒い。乗車して席に着くまでなんか待ってくれないし、思いっきり急ブレーキでバス停に着いたかと思ったらあっという間に発車する。
日本の「バスが完全に停車するまで座席から立ち上がらずにお待ち下さい」なんて呑気に構えていたら確実に降り過ごす。

以前、母を連れて韓国旅行へ行った際、バスに乗って、立って手すりに掴まっていた母が急ブレーキでぐるんとよろけ、一回転した。遅咲きのポールダンサー、韓国で待望のデビュー! 笑えぬ。
降りるべき停留所で危うくドアが閉まりかけ「アジョッシ ネリョヨー(運転手さん降ります)!!!!」と思い切り叫んだのは、私の生涯で、後にも先にも、最も大声を張り上げた瞬間だろう。おかげで喉が焼けた。

それぐらい、バス界の京急電車か!ってぐらい、韓国のバスは荒い運転なのだけれど、韓国の人は結構平気だから不思議だ。
彼らはきっと、幼い頃からバスで体幹と足腰、そして腹筋背筋がメッチャ鍛えられているのだと思う。とても太刀打ちできない。首や腰を痛めているときは韓国のバスには乗るべきじゃない。
それに比べて日本のバスと来たら、なんてやさしいのだろう。甘いあまいホットミルクティーだ。夏川りみが歌い上げる「涙そうそう」の悠久のメロディラインだ。

そんな、そんな日本の循環バスではあるのだが、唯一納得のできないことがある。
最寄り駅から自宅までの始発バスが、時間ちょうどに、例えば18:00発のバスならば18時00分になった瞬間に発車してしまうことだ。

なんで!? 18:00発だよね? なんでそんな18時00分00秒きっかりに発車しちゃうの? 18:00って、18時00分59秒までが、18:00じゃぁないの? ……と、もどかしい。

時刻表に書いてあるじゃない18時00分って。
なぜそんなに急がれるか、やさしさの塊であるはずの日本のバスよ?

最寄り駅のホームに電車が到着してバスに乗り換えるまで、どんなに急いでも1分弱はかかる。
急いでホームから階段を駆け上がって改札を抜け、走ってまた階段を降りてまだ18時00分! セーフ!と思っても、00秒ちょうどにプシューとドアが閉まり出発してしまうバスに乗り損ねたこと数知れず。

あと、あと59秒待ってくれれば乗れたのに! たった59秒! それだけ待ってくれていたら。 だってまだ18時01分になってないじゃん!!! 18時00分59秒だって、立派な18時00分じゃんかぁああああ!!! なぜにそこだけ律儀に塩対応……。
いや、なにも、試験開始の合図でも、陸上競技のスタートでもないんだからさ、59秒までは、59秒だけは、待ってはくれまいか? 日本の良心、バスよ。

どうせ、そんなにきっちりと発車したところで、すぐそこの赤信号でじっと1分以上待ったりするじゃんね。ねぇ? じゃなければ時刻表に「18時00分00秒」と書くのが本当のやさしさではないのでありましょうか?

……でも、そうしたら新たに「18時00分00秒59」までは待つのが筋だろう! と、さらに細かい単位でやさしさを求める人びとが現れるかもしれない。それはよくない。

だからどうか、じぶんが既にバスに乗って発車を待つ身であっても、59秒くらいは機嫌よく待ちますから、59秒なんて「涙そうそう」でいったら前奏が約30秒で終わってAメロBメロ次いで♪晴れ渡〜るってやっと夏川りみがノッてきたところでまだ全然サビまでいってないですから、はい。どうかあと59秒分だけ、やさしさをかさ増ししてくれましたら、もう何もいうことはないんだけどなぁ。

求めすぎなのはわかってる。
じゅうぶんにやさしい男性がすぐそばにいたのに「もう少しの間ドキドキする恋がしたい」と欲張って袖にしてその後、婚期どころか恋人ができる機会さえ逃し続けた者の言っていることだ。

それでも、59秒の何万回何億回以上のひとりのさみしい時間に耐えてきた。今すぐ59秒抱きしめろキスしろ言ってるわけじゃない。
ただ、59秒くらい、バスが、バス停で、待っていてくれたら嬉しい。 だってそのバスに間に合ったら、運命の人に出逢えるかもしれないじゃないか。