大島智衣の「oh! しまった!!」

しまったあれこれ随想録

〈18〉天下分け目のソファ

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日曜日、オバーチャンが「大学の合格祝いを買ってあげる」と言うので近所のニトリへ二人で出掛けた。

「あんたは大学に行ったらたくさん本や参考書を読むだろうから」 と、一人掛けのソファを見て回って、 「これがいいじゃない。座ってみなさい、ほら。あら! 電動で足のところも背もたれも倒れて、とってもいいじゃない。これにしなさい」 と、赤い字で『現品限り6,000円引き』と書かれた札を手に取って一緒にレジへ向かった。 そのとき、赤いダウンコートにリュックを背負った女の人とすれ違ったのを覚えている。こんなに暖房の効いた店内であんなにもこもこしたダウンを着ていて暑くないのかなと思った。 それにしてもあのソファ、49,900円もする。税抜きで。いくら6,000円引きとはいえ高すぎる買い物だ。しかも結構デカイ。東京の一人暮らしの部屋でかなりの幅を取るだろう。 だけど……オバーチャンの気持ちだから。オバーチャンがいいと思ったソファだから、買ってもらっちゃっても、いいんだよね。 そう言い聞かせながら店員さんとソファのところへ戻ると、さっきの赤ダウンの人が、ソファにどっかりと座っていた。足のところも背もたれも倒して完全にフラット状態で天井を見上げている。無表情だ。いや、泣いてる……!? 「あら!」 オバーチャンが大きな声で叫んだ。 赤ダウンさんがこちらに一瞬目線を向ける。が、どく気配はない。 オバーチャンは店員さんに、 「これ、現品限りなんでしょう? 6,000円引きで。そんなに汚れてもいないわよね。気にならない! いただくわ!」 と、明らかに赤ダウンさんにプレッシャーを掛けた。 すると、赤ダウンさんはオバーチャンと、そして僕を、ほんの一瞬恨めしそうに一瞥して立ち上がって去って行った。 赤ダウンさん、悪いけど、オバーチャンの勝利だ。

* * *

― こんな具合に、青年がその日の日記に私のことを“赤ダウン”呼ばわりして書いていそうな経験をした。つい先日のことだった。

悔しかった。普段はそんなことしないのに、アルバイト帰りにちょっと寄ってみたニトリで、「今日はちょいと座ってみるか」と意を決して身を沈めてみた電動リクライニングソファはあまりにも極楽で、「こんな人気(ひとけ)のないだだっぴろいニトリで私はひとりで何をやっているんだろう?」と、瞬時に己を俯瞰した時の気持ちったら。「咳をしても一人」(尾崎放哉)ならぬ、ニトリでもヒトリ。お値段以上、ヒトリ♪

けれどなんだか、孤独とかはもう通り越して、宇宙と一体になったかのような(ソファと一体になっているだけなのだが)、生命の歴史の円環についぞ帰したような、そんな不思議と安らかな心地がした。

嗚呼それにしたって。こんな極楽を手にしてしまったら、この先ずっとずっとこのソファに延々と沈んで、お菓子をパクパクしながらテレビ観続ける人生になっちゃうなぁ……それも幸せだけど……どうしよう? と、固まることしばし。

すると、さっき「店員がいないわねえ」と言いながらすれ違ったご高齢のご婦人に「あら!」と一喝されたので一気に現実に引き戻された。 隣にはバツが悪そうな孫と見受ける年齢の青年と、ふわっとした店員さん。

悔しかった。せっかく勇気を出して座ってみたのに。人生でそう何度もしないことなのに、この売場にはたっくさんの家具があるのに、よりによってこのタイミングで、この状況で、あっという間に「あら!」とカットを掛けられ、カチンコが鳴り響いた。ぬう。すぐにどいたら負けた感が濃厚になる。ゆっくりと、とてもゆっくりとリクライニングを戻して、夢の椅子から退散した。

そうしてニトリを一周し終えて帰る頃、サービスカウンターにさっきのご婦人と青年が座っていた。支払いやら配送手配をしているのだろう。オバーチャンのその横顔は、すごく笑顔で、やっぱりとても悔しかった。あのオバーチャンが、私のオバーチャンじゃないことが。

青年よ。春からの新生活スタート、おめでとうね。 あのソファで、マンガを読み耽ったりゲームをするのも良いけれど、たまにはオバーチャンに顔を見せに実家に帰ってあげてね。

私は、今後より快適に、もっと机に向かうべく、以前から欲しかった66,000円のデスクチェアを思い切ってヤフオクで18,000円で落札した。未使用の美品だという。明日届く予定だ。春だ。