大島智衣の「oh! しまった!!」

しまったあれこれ随想録

〈24〉一旦、持ち帰らせてください!

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「一旦、持ち帰らせてください!」

医師から手術を薦められ、ひよった私の口から出た言葉がこれだった。

我ながらなんてさらりと便利な言い回しが口をついて出てきたのだろう。 貧血改善の為に一泊二日で帰宅できるという簡単な手術だというが、全身麻酔をするという。ムシ歯の治療で部分麻酔しかしたことのない私は完全にひるんだ。

それにしても、「一旦、持ち帰らせてください」なんて。私の語彙の中にいつの間にそんな言葉が? これまでの会社勤め経験が無駄なものではなかったことに、少しの誇らしささえ湧き上がった。

「よしんば」「五月雨式(さみだれしき)」「ご放念ください」

これらの独特な単語が飛び出すビジネス用語の言い回しって面白いなと思う。

「それでは、こちらの案件は一旦弊社へ持ち帰り、社内で揉ませていただいてから、またご連絡差し上げますね」

なんて回りくどい表現も。「揉む」ってのも、すごくいい。精力的に多角的に検討し合う感じが最大限にこのふた文字にこもってる。実際は上司に一蹴されるだけかもしれないんだけど。

でも、まさか自ら使うとは思っていなかった「持ち帰らせてください」。
それが、さらりと発せられたということは、そうした言葉を形式上口に出すお勤めびと同様に、私もじゅうぶんにその場に窮していた。

全身麻酔。要するにちょっと怖かった。だから、その場での決断を先送りし、「一旦、持ち帰らせて」ほしかった。

しかし、スターウォーズのジャバ・ザ・ハット似の医師(男性)はこう言った。

「持ち帰って、どうすんの?」

確かにっ! でも、そこ突かないでー!

いったん! 一旦だけ持ち帰って、お母さんや、友だちや、ネット上の声たちに、どうかな? って訊きたいの。いいの、分かってるの! 結局手術することになるんだろうけど、一旦、クッションを置いてね、安心したいの。

「気持ちは分かるし、勿論そうしてもイイけど。 1000件くらい同じような症状を診てきたオレが手術したほーがいーよ! って言ってんのに、友だちに何が分かるの? ってオレは思うけどな」

ごもっとも! Dr.ジャバ!

でも……でも……私まぁ、ぼんやり、もたもた、のろのろ生きているけれど、そんなのも結構、気に入ってるんですよね。 ちなみに……このまま放っておくとどうなりますか?

「まぁ……心臓が生涯に打てる鼓動の回数ってだいたい決まってるからね」

へ?

「その打ち方が速ければ寿命も短いよ。 1分間の心拍数が数百の小動物は寿命が2〜3年でしょ?」

と、ジロリ。どっ、Dr.ジャバよ、では我々“貧血・脈速”星人は今後どのような運命を辿れば……?

「だったらひと月また様子見て、来月もう一回血液検査して。 手術する、しない、はそれから決めたら?」

そうしまっす! ご理解感謝しまっす!

「40歳ならまだ若いんだから、元気になって、これからまだまだ遊んで、楽しもうよ? 元気になってさ!」

や、ジャバ卿……私じゅうぶんに今のままで楽しいし、それに……。

クリニックをあとにして帰りしな、歩きながら思った。

手術したら私、元気になっちゃうの……? コワい。

知るか! って感じだけどしかし、生まれてこの方、物心ついて思春期を経過して以降、元気だった記憶がない私は、いつもどこか憂鬱で、もったりしている。それがもう通常運転で、もはやアイデンティティだとさえ。

久しぶりに会う人に笑顔で「元気だった?」と挨拶されるともう何も考えずに「うん元気!」と即答することにしている。元気かと訊かれると、いーや元気だったか……?と考え込んでしまうし、だいたい元気じゃなかったんだけど、そんなド本気で答えられても相手にとって面倒くさいだろうし。ただの挨拶だし!と。

とにかく、私自身未知の“元気な私”との遭遇がコワくって、別の意味でドキドキ。あんまりドキドキしちゃうと寿命が縮まるのに。無駄打ちはしたくない。

どうせドキドキするなら、現実で、恋をして、ドキドキしたい。元気な私で。

星野源みたいな男子に「突然何言ってんだって感じですけど、誰か付き合ってる人とか……いるんですか?」とかこっそり耳打ちされてみたいじゃないか。
大谷翔平みたいな大谷翔平とキャッチボールしながら、「僕と一緒に海外暮らしとか、興味ないですかね」とかめっちゃ手加減された優しい球、投げられてみたいじゃないか。キャッチしたいよ、その夢みたいな球。

それで早鐘を打って、恋多き短命でこの生をまっとうできるなら、それはそれ。

限りある命、というのは、限りあるドキドキ、のことでもあるのだ。手術しよ。