〈29〉この父にして 〜道産子の野望編〜
オカシな人ほど、憎いような愛しいようなで、ムカつく。
ある休日の昼下がり。台所で父が、手に余るほどのでっかい球体を「おっとっと……っとっとっと」とニヤニヤしながら、りんごのように皮を剥いてるのは、よく見たらメロンだった。
「何してんの???」 とギョッとしている娘に父は、
「ひひっ。いつかやってみたかったんだ!」
そのまままるっと剥き終わると、瑞々しい黄緑色の球にあんぐりとかぶり付いた。まるで桃を丸かじりするかのように。
……この人やっぱり、オカシな人なんだな。
じぶんの父のことをそう確信したのはこの時、私が小学5・6年生の頃だったように思う。
北海道は苫小牧に生まれ育ち、成績優秀、いろいろ苦労してのち、「寒いのはもう御免」と大幅に南下した就職先の、神奈川県は逗子で母と出会い、今に至る父。
あの時、彼は……今の私と同じくらいの年齢だったろうか。そう、生まれて40年ほどしてようやく、「メロンを丸ごと喰ってやるべさ?」という道産子の大きな野望を叶えたのだ。娘にドン引かれたからといって何だという心地だったろう。
*
父のオカシさに感づき始めたのは、それからさかのぼること私が小学校低学年の頃──。
家族で足柄へキャンプへ出掛け、川遊びをしていた私は、透き通る川底にキラキラしたものを発見した。砂に混じって大量の粒が光っていた。すぐに父を呼んで、見てもらった。
「砂金……?」
父は目を輝かせた。子どもながらに、大の大人が大人気なく「もしかして。え、もしかして?」と興奮しているのが分かった。
そうして父娘は、試合に負けた高校球児のようにざっくりと、それはもうたっぷりと、ビニール袋いっぱいに砂を持ち帰り、近所の「横浜こども科学館」に持ち込んだ。 どういう経緯でそうなったかは覚えていないが、私は気づくと、父と研究室みたいなところに通され、白衣を着た研究員っぽい人にその砂を見せていた。
「砂金なんじゃないかと思って」
父がわくわくと白衣の人にお伺いを立てる。その人は、ドサッと置かれた袋の中身を見て、こう答えた。
「黒雲母……ですね」
くろうんも? なんだいソレは! 金の仲間かい? 原石か何かかい? 私ら億万長者になれるんかい!?
父娘は前のめりになった。
「黒雲母とは、花こう岩に含まれる鉱石で、薄く剥がれてキラキラ光って見えますけど、金ではないです」
少し申し訳なさそうに、でも非情にもきっぱりと白衣の人はそう告げた。
帰り道。父が思いの外ガックリしているのを見上げて、「この人、結構本気で一攫千金に心躍ってたんだな……マジか」と思った。 砂金だと分かったら、後でごっそり掘りに行けるように、コレを見つけた場所もしっかり記憶してあったに違いない。
後になって、学校の理科の授業で『黒雲母・白雲母の違い』について習ったときには、「はいはいコレね……すっごく知ってる。もっと早くに教えて?」とこの恥ずかしい顚末が蘇った。
*
あの時、大富豪にでもなっていたら、父の人生は大きく変わっていたかもしれない。
けれど今朝の父は、買ったまま冷蔵庫に入れっぱなしのブルーベリーを「このままだと腐るよ!」と娘に叱りつけられている。
「じゃぁココに入れて」と差し出したヨーグルトには、既に黒い粒つぶがたんまりと混ざっており、「もうブルーベリー入ってるじゃん」と娘が一喝すると、 「へへっ! 違うもんね〜。これは黒豆だもんね〜」 と、してやったり顔。黒い粒の正体が甘く煮た無数の黒豆だと知った娘は思わず、ぎゃぁあああ!!! と叫んだ。 それでも飽き足らずに、「いいの! 早く!」とブルーベリーも投入させる阿鼻叫喚の沙汰であった。味覚、どうなってんの?
あの時の黒雲母が砂金だったら。 この黒豆もブルーベリーも、キャビアやトリュフだったかもしれない。
でもそうはならなくて。団子やまんじゅうを今生の大好物とし、甘酒を水のように常飲している。そしてヨーグルトもこよなく愛し、ストックを欠かさない。
北国特有の、何でも甘く食する慣習の父母(母は秋田の男鹿出身)のもとに生まれ落ちた娘は、納豆に砂糖を入れないと食べられないように育った。
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私たちはだいたいは、近しい人たちを情濃く愛おしく思う。
私にとってはその近しい一人があのようにオカシな人だったので、私はオカシな人に出遭うと「愛おしい」と思うのかもしれない。
しかし一方で、自分ばっかり可愛さを押し出してきて、憎いような愛しいようなでこちらの気持ちをかき乱し翻弄するから、憎さ百倍ムカつくこともあるけれど。それでもやっぱり愛おしくて、ヤだ。