大島智衣の「oh! しまった!!」

しまったあれこれ随想録

〈30〉どうか待ってて、本命の

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ここのところ、やけに天丼が食べたくて。帰り道、ひと駅分先にある「てんや」まで歩いて食べに行くか否かで悩み続けていた。

行けばいいじゃないか。と思う。だけどナゼか、あらゆる方法で蹴散らしてきていた。

ある日は、スーパーで天ぷらのお惣菜を買って帰り、天つゆで天丼。 またある日には、蕎麦屋に寄って天そばで天丼気分を緩和。

が、依然消えない「天丼食べたい」。 さくさくの天ぷらに、つゆの染みた白米の融合を口の中で果たしたくてたまらない。ちょっと甘めの天つゆがいい。それには、私の知る限り「てんや」しかなかった。

そうして昨日、これ以上もう手近の火遊びなんかじゃ満足できないと悟った私は、腹をくくりひと駅先のてんやまで歩き始めた。最初から本命の元に走れば良かったのだ。恋にも食にも寄り道は禁忌だ。天丼は、誰か他の変わり身で蹴散らせるようなタマではなかったのだ。

ずいぶんと歩いた。あともう少し、そこの角を曲がれば「てんや」が見えてくる。そこまで来たところで、「こんなところに?」な列が出来ていた。

なんだろう? と目に入ったのは、店名と「夜の部は18時〜」という看板。どうやらラーメン屋らしかった。 私は気になりつつ角のところまでは歩き続けた。しかし、どうしても気になってスマホでその店名を検索する。なんとも現代っ子。すると、どうやら最近頭角を現してきた人気のラーメン店のようだった。

どうする? もう直ぐ開店だ。

私の中で再び浮気心が湧いてきた。口の中はもう天丼になっている。今さらラーメンなんて。

でも、あの娘もやはり気になる。

こんなところに後日再び通り掛かることもなさそうだし、ここ結構遠いからわざわざ来るのも正直面倒である。

やはり!

私は引き返し、ラーメン屋の列に並んだ。ごめんやで天丼! こんな私を許してほしい。絶対におまへこそが、本物の運命の相手だと分かっているのに。いつもじっと耐え、待ってくれているおまへのいじらしさをいいことに、俺ってば。愚か者だとなじってくれ。そうさ俺は愚か者だ。ラーメン馬鹿なのさ、元来。

18時の開店まで5分ほど並んで、私は入店した。
他のラーメン猛者たちは、つけ麺やセットに肉盛りごはんなども頼んでいるが、新規顧客としては「素直にラーメン」が手堅い。
買った食券を渡しながら遠慮がちに「ネギ抜きで」と頼んだ。多少のネギならよけて食べられるが、看板に映るラーメンの写真には青々とした長ネギがてんこもり。これはとても食べられない。単身ラーメンでは誰かにネギをあげることもできない。

しかし、ネギが乗ってきたところで私は憤慨したりしない。
ネギが嫌いなんて、マイナーにもほどがある嗜好であることは重々承知している。忘れられたところで、「ですよね?」だし、いちいち文句など言わない。

が、「お待たせしました」と到着したラーメンにはきれいすっきりノーネギラーメンだった。ありがとう。まるで、優しい彼氏である。「プレゼント!? ありがとう! 私の誕生日、憶えててくれたのね!」って感じの気遣い100点の彼氏だ。

なのに……彼の優しさはそこまでだった。

ふと、薄ピンクの美しいチャーシューに目を落とすと、黒いものが……。そうっとつまんでみると、4センチほどの細く柔らかい何かの毛だった。

ヘンだなぁ。さっきもお盆の上にそれくらいの毛が落ちていて取り除いたばかり。
大将は角刈りだし、アシスタント君はよく見えないけど、いずれにしてもお店の二人ともキャップを被っている。腕毛? でもユニフォームは長袖。とすれば……犬か猫? 二人のどちらかが家で飼ってる犬か猫の毛かなぁ。

答えは出なかったが、とにかく私はそれを取り除いたのちそのまま食べた。
「ちょっと! 毛が入ってたんですけど?」「すみません! すぐに作り直します! お代は結構ですので……」なんてやり取りを、この麺をすする音しかしない研ぎ澄まされたラーメンワールドで繰り広げたくはなかった。

「ごちそうさまでした」 ぼそっと、そう口にしてお店をあとにした。

ここに寄ることはもうないだろう。一口めはおいしかったけど、一口めだけだったし、毛が2本。

最初から、そうだ。てんやに寄れば良かったのだ。浮気なんてするからいけない。

角を曲がって、てんやの前を通り過ぎながら悔やんだ。今日まだイケるかな? と、てんやで軽くミニ天丼なんてものがあろうなら食して行こうか? などと考えもしたが、それはあまりにも天丼に対して失礼ではないか? と自重した。いや、そもそももう腹に入らない。

愛も食も。一生に一人。一食に一食である。

それでも。つまみ食いをしたからこそ、本命を選んだ後に「あっち食べときゃよかったかな……そっちの方が美味しかったかな」などと迷わずにいられるというもの。実に都合がいいけれど。

次回こそ、天丼のもとにまっ直ぐと駆け寄ろう。彼がまだ、こんな私を待っていてくれるなら。