大島智衣の「oh! しまった!!」

しまったあれこれ随想録

〈38〉マンホールの守り人

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もうバスのなくなった深夜に、駅から自宅へ帰る道のりは、本当はいつもちょっと怖い。人も車の往来もほとんどなくて、街灯もまばらな道路脇の道を30分ほどしんしんと歩く。と、いらしたの!? とばかりに、不意打ちに後ろから人が来るとなおさらに怖い。

そんなとき、道行く前後の二人が女性同士だと、後ろの女性はこんこんと咳払いをして、前を行く女性に「私は女ですよ」と伝えて安心させたりする気がする。暗黙の気遣い信号を送り合うのだ。私はするようにしている。されると安心もする。 先日もそんな咳払いが後ろから聞こえてきて、若い女の子が電話を掛けながら私を追い越した。いいな、と羨ましく思う。私にはこういう夜道に電話していい人がいない。どんな夜も、どんな道でも、ひとりだ。気遣いの咳をしても、ひとり。

孤独はさておき。男性はこんなときどうするのだろう? まさか「後ろ、今俺、男っす」とばかりに咳払いしたりしないだろう。 知人男性にどうしているか訊くと、「できるだけ後ろをついて歩いて怪しまれる時間を短くするために、スピードを上げてあっという間に追い越し抜き去るようにしてるっすね」とのこと。ん、おおう。気持ちはありがたいけど、それもそれで怖い(笑)。 ただ、男性も、たいへんなのだな。

ある夜の帰り道。「んあっ」という声がした。決して気遣い同胞女子のものではない低く鈍い声が、小雨降る暗い通りに響いた。

あたり一面を見通しても、何度後ろを振り返っても、誰も見当たらない。 ただ、前方の交差点で、三角コーンが赤く煌々と内側から光っているのが見える。工事か、通行止めか。 目を凝らして窺うと、交差点で、三角コーンの放つ光に赤く照らされた、黒く大きな傘のシルエットが見えた。

傘……? 誰か、男性でも、信号待ちをしているのだろうか? ならば早く行って欲しい。信号が早く変わってくれないものかと気が急く。でなければ、私はそこを通って帰るしかないのだ。 交差点にどんどん近づいて行く。少しゆっくり歩いて時間をかせぐ。それなのに! 信号が青になっても傘が動かない。やだな。なんだろうなー。え。

……なんと傘の人は、パイプ椅子に座っていた。ウソだ往来でパイプ椅子! 交通量調査とか? こんな深夜に? 足早で通り過ぎざまに恐るおそる横目で見ると、マンホールがガッパリ開いていて、穴の中の太い管から水が絶え間なく30センチくらい噴き上げていて、男性はじっとそれを見ていて、三角コーンには「水道局」と書かれていた。

夢だったのかもしれない。

でもたぶん、水道管のトラブルだ。間違いない。
あのマンホールの守り人が、あの夜あの道で私なんかよりいちばん孤独だったことも含めて、たぶん。