大島智衣の「oh! しまった!!」

しまったあれこれ随想録

〈39〉幸せのウラオモテ

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駅まで歩いて20分ほどの道も、暑くなってからは毎朝循環バスに乗っている。 「◯◯駅行き」のバスよりも、循環バスのほうが時間どおりに来やすい。そう気づいてからは、循環バスが到着するバス停からバスに乗る。

昨夏は、このバス停も今年ほど暑くはなかったように思う。これは気候のせいではなく、バス停のある道々に並んだ桜の木が、今年は道に差し掛からないように綺麗に大胆に切り揃えられてしまったようで、そのために日陰がまったくなくなってしまったのだ。だっふんだ。
ざらしのバス停はいよいよ暑い。日傘をさしていてもジリジリと腰から下が灼ける。なので、できるだけ炎天下で待たずに済むように、家からバス停までの徒歩時間を計算して、直前に歩き着くように家を出る。

ほぼいつも時間どおりに来るバスが、ややもすると早く着きすぎて発車時刻までその場で少し停まって待ったりさえするバスが、昨日は数分遅れで到着した。灼熱下の数分は業火に焼かれる数十分にも感じられる。 バスに乗り込み、座席に着くと、車内は概ね満席で、母子連れが二組いることが見て取れた。バスの遅れはこのせいもあるなと思った。子どもは、バスに乗り込む足取りが、子どもでない者より断然に遅い。じぶんで料金も払いたがりがち。いつもどおりの運行とはいかないのは当然だ。遅れもやむなし。

と、私の斜め前方に座る30代くらいの女性の背中に違和感を覚えた。お、とすぐにそれが、服の襟足にはっきりとむき出しになっているタグのせいだと分かる。しかもそのタグが、デカい。そのうえ二枚重ね。

裏返しや……服。あゝもどかしい!

タンクトップの上にすっぽり被って着るような、黒い薄手のチュニック。タグは着ている本人からは見えないが、黒くて分かりづらいとはいえ裏表の証明となる縫いしろはちゃんと見て取れる。

気づいて! 服、裏返しやで! 駅のトイレで着替えるんだ!

何なら、腰元にも大振りなタグがべろんと付いている。彼女の手首のすぐ近くにそれはある。

手元手元! 気づける! 今すぐ手元を見よ! もしくは手首にタグをこすり付けられよ!

こんな心の叫びが届くわけもなく、後ろからこっそり囁やける距離でもない。 降りがけに言おうか? いや、ならばもういっそ、今日一日気づかずに、汗だくで帰宅してバッと脱いだまま洗濯かごにスローインして、何ごともなかったように一日を終えてほしいと願った。

駅にバスが着いて全員が降りた。母子連れ二組に彼女が合流した。そして、離れて座っていたのか彼女の子どもも傍らに。しめて母3、子3。そうか、この三組でどこかに出掛けるのだな。ではきっと、少なくともどこかのタイミングでママ友二人のうちどちらかが教えてくれるかもしれない。そうに違いない。 でも、ママ友二人とも、彼女がもういっそ今日一日気づかずに、汗だくで帰宅してバッと脱いだまま洗濯かごにスローインして、何ごともなかったように一日を終えてほしい、と願うかもしれない。

いずれにしても願うのは、誰しも、誰かの幸せだ。 服がウラオモテだからって何だ。要らぬ正義感を発動し、むやみに正して何になる。

男子のTシャツが裏表っぽいのを目ざとく見つけて、指摘するのをきっかけにお喋りしようと邪念を抱いたところで、いや待てよ? と警戒し「そういうデザイン?」と訊いたらまさにビンゴだったときの“ふぅ〜あっぶね!”の二の舞にもなりかねない。

本人が気づかない可能性が高いなら、そのままが一番かもしれない。

仕事を終えた帰り際、コンビニに立ち寄った。 レジ待ちの列で前に並ぶ、落ち着きのない高齢女性に目が留まる。と、愕然とした。彼女もまた、服が裏返しなのだ。

なんでじゃい!!!

もうホントどうか、ぜんぶ暑さのせいにして、彼女も今日という日をこのまま終えてほしい。

電車に乗りながら、バス停に向かいながら、「もういまいか? ウラオモテびとはもういやしまいか?」と往来の人々の服をくまなくチェックした。

誰も裏表じゃなかった。すばらしいと思った。 誰も裏表反対じゃなく、きちんと服を着られている。 それだけでもう、皆んな本当に花丸二重◎ すばらしい一日だ。

そして誰かが、誰かの、幸せを願う気持ちで、服が裏表でも一切気づくことなく一日を終えられている人が今日もどこかにいたら、それもそれとて、なんてすばらしい一日だろう。