〈54〉びしょ濡れのち変態

暖かい陽ざし降りそそぐ、春風が心地よいある日のことだった。
勤め先のご利用客さんが洗濯をしたいと言うので、洗濯機のある屋上階まで彼を案内をした。
ずんずんと階段を上って行って、「こんなところにあるんスね〜」「そうなんですよー」なんて言いながら洗濯機までたどり着き、彼が洗濯物と洗剤をセットしている間、私はコンセントを入れ、ホースを蛇口へ装着し、栓をひねりにひねった。
そして洗濯スタート!
「終わった頃、一緒にまた取りに行くので声かけてくださいねー」「あざ〜っス」などと言い合い、私はデスクに戻った。
〜小一時間後〜
「そろそろ洗濯物を……」と彼がやって来たので、再び屋上へと連れ立った。
洗い上がった洗濯物を彼が洗濯槽から取り出している横で、私はこれまでに何度となく繰り返した要領でコンセントを抜き、ホースを外し……はず……あれ、ん? なんかいつもと違う? え、え、え?
ぶっししししゃああああああああッッツツツ!!!!!
なんと、勢いよく水が噴き出した。
えーーー!!!
止めなきゃ!!
でも! 地面に打ち付けた水が勢いそのままに全身に跳ね返ってくるぅー!!
ここは滝つぼ!? これ滝修行??
どどど、どうしよー!!
おおおお……けど逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだー!
逃げても、止めなきゃどうしようもないってやつだぁああ!
どんどん濡れるーーー!
ひねってるよ!? 蛇口ガンガンひねってるけど、最初開けるときにひねりにひねったから、なかなかまだまだ、ひねり切らないんだよぉおおーん!おーんおーん…………
きゅっ。
……ふう。ようやく、止まった。
「だ、大丈夫スか?」
彼が隣で呆気に取られている。
……大丈夫じゃねぇっス。ドびしょ濡れです、ご覧の通り。
しかし私は、凡ミスが原因の醜態をご利用客様にさらしてしまったことを恥じ、濡れた前髪と顔を手で拭いながら、精一杯にこう答えてみせた。
「あはは。見ちゃいました……?」
彼の顔は見られなかった。気の毒そうに彼は言った。
「見ちゃったスね」
そのあと、お騒がせしたことを詫びながら、洗濯物干し場へと彼を案内し、オフィスへ戻った。
さてこの、水も滴る「しまった!!」状態、どうしたものか。
同僚たちは、ある者は絶句し、ある者は「タオル……あそこにありますよ」と申し訳程度に教えてくれた。
そっか、でもコートがある。
私はびしょ濡れたワンピースとロングTシャツを脱ぎ、その上に今朝着てきた春物のコートをはおった。ボタンはしっかりと留めた。
幸いこの日は、とても良く晴れた春の陽気だった。干せば数時間で乾いてしまうだろう。
脱いだ服をハンガーに掛け、ご利用客氏の洗濯物が広がるスペースの片隅にひっそりと私のも干させてもらった。
こうして──
“一見、正解ではなさそうな装いだけれど、はっきり間違いとも言い切れない”といった格好で、私はデスクに納まった。
しかし気分はまるで、季節の変わり目に出没する変態コート男であった。いや、じゅうぶんに見た目も。
なんでこんなことに……?
こんな失敗、したことなどないのに。恥ずかしい。
けれど……実は完全に思い当たる節があった。
それは……とても言いにくいのだけれど……
ご利用客の彼が正直メチャクチャ好みだった。
ホントね、ホント恥ずかしい。
そんな理由で、心ここにあらずでびしょ濡れた。
というか恥ずかしいどころではない。業務はしっかりしないとだ。反省している。
数時間後、乾いた服を着ながら思った。
「これで彼、私のこと覚えてくれたかな……」
懲りない。