大島智衣の「oh! しまった!!」

しまったあれこれ随想録

〈53〉彼と私の最短距離

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ついにこの日を、迎えてしまった。 ショックというか、それでも「おめでとう」というか。「これまでありがとう」というべきか……。

今の職場に移ってからのここ一年半。 朝の出勤時に、大好きな歌手に似た男性と駅の近くですれ違うのを、私は楽しみにしていた。 彼と行き交うたびに、どんな人なのか、どんな生活をしているのかなどに思いを馳せ、時には勝手に想像し、見守っていた。(ゴメンナサイね。見守るってなんだろね?) それはまるで、大好きな歌手の日常の一部を垣間見るかのように。

「毎朝すれ違う韓国至宝のバラード歌手ソン・シギョン似の男性は、雨の日はいつもより少し手前ですれ違う。《悪天候を考慮して普段より早めに家を出ている》感じがとてもイイ。好きだなぁそういうところ。デートの約束に遅れて行ったりしないし、部屋はフローリングなんだろうなぁ。」(2017年9月28日メモより)

勝手な妄想である。

「今朝の彼は、前から見てもわかるくらい後頭部の寝癖がひんひん跳ねていて、振り返ってすこし見入ってしまった。前の晩にちゃんと髪を洗ってから寝る、良い子だ。」(2017年12月14日メモより)

寝癖の理由すら、理想に寄せて妄想。

「何が見守りだキモっ!」 いやいや。違う違う。そう気味悪がらないでほしい。 だって私はただ“すれ違っている”だけだし、そしてちょっと、観察しているだけ。(じゅうぶんに気味悪いか。苦笑)

それにほら。

「朝すれ違うのを楽しみにしている人とひさしぶりすれ違ったら、装いがすっかり冬仕様。季節のうつろいに陶酔のため息を吐いたも束の間、首に巻いているメチャメチャ素敵なチェック柄マフラーをガン見。こりゃ彼女いるな……。と勘で察する。まぁ、センス良い彼女でなにより。うっ💦」(2017年11月30日メモより)

ね? 四季の変化にさえ気づけちゃう。(マフラーはそれ以来、一度も着けているのを見ることがなかったので、彼女の存在は私の中ではうやむやに……)

まぁそんな風にして、毎朝を楽しみしていた。 そして、見守りも2年目に突入してからは、1年目と特に変わり映えのない彼の姿に物足りなさを感じたりもしていたけれど、しばらくすれ違うことがないと毎朝の通勤もつまらなかったし、極まれにエスカレーターですれ違うことがあれば路上ですれ違うより距離が近くなってドキドキしたりした。 そうして繰り返す日常は、何の変哲もないように思えたけれど、なによりも平和でしあわせだった。そしてこんな朝が、いつまでも続くものだと思っていた。

それが───クリスマスイブの翌日の今朝。 な、なんと彼が、女性と、ツーショットで歩いてきたのだった!

まず、まず視界に入ったのは、「無重力状態か!」ってほど寝グセ散らかしている彼の頭だった。 どうしたらあんなに毛髪全体がフワフワと浮くのか? エアリー過ぎる。 そうかなるほど、いつもの朝はよっぽどきちんと寝グセを直してから家を出ていたのねきっと。(たまにピーンと跳ねていたけれどね)……そう瞬時に考察した。

それから次に、彼の隣に女の子が並行して歩いているのが見えた。きっと彼と同世代の若い女子だ。二人はずっと並んで歩いている。 しかもなんか口が動いているから二人は喋っているっぽかった。 そして彼らは、でっかいスーツケースをそれぞれにゴロゴロと転がし、結構な早足で駅に向かっていくのであった。急いでいるためか、表情は切迫し無表情であった。

なにごと……?

彼らとすれ違いざまにその光景に固まってしまった私は、少ししてからまたちょっと振り向いて、ずんずんと遠ざかっていく二人の後ろ姿をしばし眺めた。

彼女だよね、あれきっと。そっか。……昨年の冬、メチャメチャ素敵なチェック柄マフラーを彼にプレゼントした彼女かな。だといいな。そっか。付き合ってもう一年経ったんだね二人は。それはあれかな。昨日の晩、二人でメリークリスマスお祝いして、素敵な夜を過ごして、だから彼は寝坊して時間なくて寝グセのままこれから二人で出勤して、そっか二人は同じ職場なのかもしれないね。でもそのスーツケースは何? すでに二人は同棲中? 今日お互いに仕事納めで、そのまま彼女の実家へご挨拶に向かうとか? それか婚前旅行? 新年を二人で海外で迎えるのかな。そっかそっか素敵。素敵だわあ。シドニーあたりかな。ね。なんでかなあ。なんで、なんで私は、いつもこうやって目で追ってしまう人が彼女と歩いているところに遭遇してしまうのだろう……!?(以前にも同じような経験済み)

そう、ぽかーんとしながら「この今の気持ちはいったいどんなものだろう」と探った。 やっぱりショック……? いやしかし、どうしてか、ショックという感情は見当たらなかった。 衝撃を受けたことに間違いはないけれど、傷ついたり悲しかったりというのとは違うっぽい。

なんていうか、観察しながら見守りすぎて、「殿堂入り」したっぽい。彼。

ホントはさ。帰り道に呑み屋で彼とばったり隣り合わせて、まさか毎朝観察してるなんてことは夢にも言わずに自然に出会うことを夢想してた。待って、待って、観察して見守って、待って待って待ちすぎたっぽい。

だから私、ハチ公になったんだっぽい。

帰らぬ主人を待ち続けて、渋谷の交差点で銅像と化し、待ち合わせのシンボルとなった忠犬ハチ公。 まずいよ私、このままじゃ石になる。いいか私! 彼はもういないんだよ、彼女がいるんだよ、目を覚ませ!!だって彼は一度だって私を見たことがなかったじゃない! いつも遠くを見据えていて、目が合ったことなんてただの一度もなかった。どんなに近くを通り過ぎても。

そうか私は異邦人でもあったのか。

♪異邦人/歌・久保田早紀
こどもたちが 空に向かい 両手を広げ
鳥や雲や 夢までも 掴もうとしている
その姿は 昨日までの 何も知らない私
あなたに この指が 届くと信じていた

あなたに とって私 ただの通りすがり
ちょっと 振り向いて みただけの 異邦人〜

かつての十八番だったこの歌を歌い終えて、私はぐるりと前を真っ直ぐに向き直した。 そうなのだ。私はついにこの日を迎えたのだ。彼の旅立ちを讃え、これまでの見守りを終える日を……。

すれ違って、見守ってるだけじゃ。どんなに待ち望んだって私たちの距離は、上下のエスカレーターで手すり越しにすれ違う時のあの最短距離が限界だった。それを上回ることはきっと、なかった。

指を伸ばせば、届いたかもしれない。 だけどそれ実際にやると法にも触れたかもしれない。(それはダメ!絶対!)

だからこれで良かったのだ。 「おめでとう」そして「これまでありがとう」、夢を見させてくれて。

今度またすれ違っても、私からは挨拶しないよ。 だって、そもそも私たち、知り合ってもいなかったものね。

 

*****

 

今年も一年、どうもありがとうございました。 昨年の年末は母が「しまった!!」で大変な年越しでしたが(〈9〉感受性の産みの親)、今年は笛に呼ばれることなく過ごせるよう、このままなんとか乗り切りたいところです。 おかげさまで体調も今のところ順調に快復してきております。

皆さまの新しい年が、笑える「しまった!!」で彩られますように。 来年も益々かたよりながらよろしくお願いいたします。

大島智