〈3〉落ち込んだ日にはバスのおりますボタンを押して
落ち込むことがあった日は、帰りにバスの「おりますボタン」を押す。
ゆっくり、しっかり。ぎゅーっと、確かに。
指先に全神経を集中させて。その感覚をいくらも取りこぼさずに感じたいから。
「とまります」
点灯した文字と、運転手さんの「次停止しまーす」の声。
今日一日のむくわれなかった思いや言えなかった言葉、そんなことすべてを聞いてもらえたような心地になる。バスに。
すると、心底ほっとする。あれだろうか、バスが大きいからだろうか? それだけで、掬われる。
茹で上がっても浮いてこられない、鍋底に貼り付いてしまった白玉のように、もうじゅうぶんなのに鍋底最前線で加熱され続けてぶよよよになってしまった白玉。それをやさしくこそぎながら掬ってくれるのが、なにを隠そう「おりますボタン」だ。バスの。
それを! 何でも押すのが好きなお年頃の子どもに、たまに先を越される。地団駄を踏むほど悔しい。でもそこは、大人だから譲らないと、ね。子どもに勝とうとフライング気味で押しおおせたところで、チョーカッコ悪い。
*
おりますボタン、好きだ。いろんな形があるのよね。国によっても違う。
その中でもお気に入りのボタンがある。押すところが10円玉よりはちょっと大きいくらいの白くて丸いボタンのだ。そのボタンに逢えると、それだけで嬉しい。彼が私を好きじゃなくても、他のボタンを慕っていても。
バスに乗ればあなたに逢える。それはなんて幸せなことだろう。
だけど、これがヒトだとどうして違ってくるのだろう。ヒトは、好意がないと逢ってもくれない!!!
好きなヒトがいっそ、「おりますボタン」になってくれたなら。
悪い魔女に路線バスの「おりますボタン」に姿を変えられてしまった彼。彼を想う彼女はそれを知らずにボタンを押す。と、魔法が解けて彼が現れる……! 歓喜! 元の姿に戻った彼と彼女ベルは、一緒にバスを降りる。
『美女とバスのボタン』
これ大ヒットするんじゃない?
*
そんなことを考えながら今日という日もバスに揺られ、もの言わぬボタンを見つめるひとは少なくないのではないだろうか。
「とまります」 本当はとまらなくても良かったりする。 このままどこか遠くへ連れていってほしい。なんて思いながら。
それでも「おりますボタン」を押したから、明日に向かって降りていく。