〈61〉やさしいアイスのままでいい
毎週月曜日の朝には生協が届く。
野菜や、牛乳・卵・お豆腐・ヨーグルト、パンやお肉や冷凍食品も。
昨日の月曜日。いつもの生協が届いたあと、
「あれ、おいしそうね。アイス。野菜の」
みたいなことを母が言ったときは、野菜のアイスだ? と訝しがりつつ軽く受け流していたのだけれど。
さっきの夕飯前にまた、
「あれ、食べてみたいな。あんたが注文した、野菜のアイス」
などと言う。
というか、今こちらは夕飯の支度中。
手伝うでもなく、リビングで椅子にどかっと腰を据え、テレビを見ながらそんなことを言う。
しかも食事の前にアイスって何だよ。子どもだったら怒られっぞ。
でもって、なんなの“野菜のアイス”って昨日から!
アイスは、あれはあなたが注文した抹茶アイスだよ? と言っても、
「え? 野菜のアイスって書いてあったわよ」。
ええい待ってろよとばかりにガラッと冷凍庫を開け、カップアイスを掴んで見やるとそこには……
〈やさしいアイス〉
と書かれていた。それはそれはやさしい字体で。
“やさい(野菜)”じゃないよ!
“やさしい(優しい)”だよ!!
母にそれを伝えると、椅子にのけぞって大笑いしていた。しあわせな人だ。
自分の世界観が色濃く、そこに没頭しがちな人は、空耳・空目をしやすい──。
そんな感触が私にはある。じぶんもそうだから。
そしてそれは、たぶん母から遺伝しているのだ。
頭の中に無数に浮遊・混在している観念の分子Aに、外からの言葉や情報の断片Bがぽこっとはまると、自分仕様に導き出されたCなるものが見えたり聞こえた気になる。このCが空耳・空目だ。
最近だと、ご近所さんのベランダに坊主頭の人がいるなぁ。あそこの旦那さん、あんな坊主頭だっけ……? と眺めていたらそれは人の頭ほどのサボテンだった。
見たいものも見えやすい。
人混みのなかに好きな人、とか。ベランダから母が見えて、入院中なのにサプライズで一時帰宅した? と思ったらただ近所のおばちゃんが歩いてただけ、とか。
一方で、誤解や早合点も多くしているのだろう。それで勝手に傷ついたり。
ならばできれば、しあわせ寄りがよい。空目も空耳も、誤解も早合点も。
ただ、まぁ、やさしいアイスはやさしいアイスのままでいいやと思う。じゅうぶんしあわせ寄りの空目だものね。
\ポテチキ新登場/ とファミマのポスターが目に入って、ポテチキ…? ポテトっぽいチキン? ポテト&チキン? でも見た目はローソンのからあげクン。なんだろう…なんだろう…?? と普段はそんなことしないのに店員さんに「ポテチキってなんですか?」と訊いた。
— 大島智衣 (@ohshima_tomoe) 2019年5月20日
若いバイト君は「んーいちばん想像してもらうとイイかもしれないのは、からあげクンですね。笑」
— 大島智衣 (@ohshima_tomoe) 2019年5月20日
え!? と頭の中が混乱し、「じゃぁポテチキの“ポテ”は何ですか?」と訊き返しながらPOPをよく見直すと\ポケチキ新登場/←‼
「あ、ポ“ケ”チキ…でしたか。(ポケッタブルなチキンかなきっと)へへ」